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ルーツや愛着対象の喪失、“根こぎうつ”症状の事例

3歳で満州に移住したB子の事例

B子の個人史と症状

・東北地方のある農村に9人きょうだいの4番目のことして生まれる。

・3歳のとき一家で満州の開拓部落へ移住。

・7歳で敗戦に遭い、帰国の途中で両親は感染症で死亡。死亡直前にB子をある中国人家庭に預け、B子は他のきょうだいとの消息も絶たれた。

・その家庭で9歳まで育てられたあと、別の中国人夫婦の幼女となった。

・23歳で中国人男性と結婚し、4人の子供を得たが、夫の関係は良好ではなかった。

・38歳のとき、22歳ごろ連絡先を入手したしまいのひとりを訪ねて、日本に一時里帰り帰国。望郷の念が高まるも4人の子供のために日本への帰国を断念。

・42歳ごろ、子供のひとりが学校でB子が日本人であることでからかわれる。子供にとっては、それほど気にする出来事ではなかったのにもかかわらず、それを契機にB子のうつ病が発症。抑うつ感とともに、頭痛、吐き気、めまい、発汗、眼痛、食欲不振など多数の身体的不調を訴える。

・44歳で、夫と別れ、二人の子供と日本に帰国。当初は、故郷に住む姉の一家と共に生活したが、仕事もなく、日本語を学習できる学校もないため、帰国後数ヶ月して上京。精神科を受診。

B子の症例についての江畑(精神科医)の考察

●A子同様、たび重なる移住と愛着対象からの離死別体験がみられる。

移住体験は、それまで慣れ親しんだ人びとや環境からの離別体験を含むことを考えれば、一種の愛着対象の喪失体験と言える。

ボールビィの愛着理論によれば、幼少期に愛着対象の喪失体験を得た者は、成人してからうつ病にかかりやすいとしている。

●それを考えると、3歳のときから、愛着対象のたび重なる喪失体験を経ているB子のうつ病の発症を理解することができる。

ここで、B子の葛藤を整理してみましょう。

3歳のときに離れた日本に38歳で里帰り帰国した時に、日本との一体感が生じ、帰りたい気持ちが高まる。(愛着対象としての日本)

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「子供のために」中国にとどまる決心をする。
=子供たちという、中国で自ら生み出したもの(愛着対象としての中国で生まれた我が子たちと中国文化。)との一体感を求めることで、日本との一体感への希求を断ち切ろうとする。

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自分が日本人であるために、子供がからかわれる。
=愛着対象として一体感を求めようとした中国からの拒絶、裏切り。
=一体感を断ち切ろうとしていた日本への憧憬。

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どこにも安住できない根こぎ感。

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言葉も話せない日本に帰国したものの、3歳から44歳までの41年間、B子を育んできた中国文化という愛着し一体化してきたものに対して喪の営みを行うこともないまま、日本でもうつ病が続く。つまり、中国文化との一体感を喪失しながら、一方でなおその一体感を求め続けているというジレンマがうつ病という症状に現れている。

●B子のうつ病にともなう症状は、さまざまな身体的愁訴を特徴としている。

ツェン(Tseng, W-S.)とチャン(Cheung, F.M.)らなどの中国系の比較文化精神医学者によると、中国人のうつ病者は抑うつ気分より身体化された症状を呈しやすいと報告している。

※参考文献:江畑敬介「移住の精神病理」(「女らしさの病い―臨床精神医学と女性論」誠信書房 1986、斎藤 学・波田 あい子編集、所収)

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