海外生活における心理的問題がテーマになるとき、「不適応」ということばはよく聞かれると思いますが、実際には、「過剰適応」が原因となって起きる心身の不調も珍しくありません。不適応の場合はたいていご本人の自覚があるものですが、過剰適応の方は、ご本人の意識では、自分の頑張りで大体のことがうまく行っていると思っていることも多く、その矢先に状況が思いがけない展開になったりするので注意が必要です。
ここでは、外国で完璧といえるほどにうまく適応していた女性が精神的不調をきたした例を、「移住の精神病理」(江畑敬介,1986)から引用してご紹介します。(全2ページ2,500文字)
C子の生い立ちと大学入学まで
・5人きょうだいの4番目として、関西地方のある都市に生まれる。
・父は公務員で生活は質素、両親の仲は悪く争いが絶えない家庭だった。
・父はC子の姉妹をかわいがり、母は末の弟を溺愛してC子は母から無視されていると感じていた。
・C子が5、6歳頃、母は父と喧嘩して実家に戻り、そのまましばらく帰って来なかった。
・その後、父は、母にしていたと同じように姉やC子に暴力をふるった。
・C子は学業成績は優秀で、友人にも恵まれていた。
・高校時代に兄に連れられてキリスト教会に行くようになったのがきっかけで入信し、洗礼も受けた。
・英語が好きだったので某女子大学の英文科に入学し、大学生活は勉学と信仰で充実した日々だった。
渡米:留学から結婚まで
・大学卒業後2年目に、C子は家族を説得し、かねてからの念願だったアメリカへの留学を果たす。まずはアメリカ本土へ、そして1年後にはハワイ大学へ転校した。その頃、英語を話したり聞いたりするのが楽しくてしかたがなかった。
・高校教師をしていた日系二世の現夫から求婚され、彼が職業軍人になってバージニア州に行くことになったとき、C子は家族の強い反対を押し切って結婚に踏み切る。
・その後は、夫の軍隊生活に従って、アメリカ各地を転々としていたが、その間も、C子は専業主婦としてだけではなく各地の大学で言語学や会計学を習得するなどして、積極的にアメリカ社会に同化しようとした。
・アメリカ南部の教会で、有色人種として差別されたことがあったり、アメリカのキリスト教徒が、C子が日本で想像していたほど敬虔でないことにも落胆したため、信仰は途中でやめている。
アメリカ生活への過剰適応
・夫は米軍将校になりプライドも高かった。その夫人らしく振る舞おうと細心の注意を払った。
・ニューヨーク州の軍人たちが集団で生活する兵営内で暮らしながら、「アメリカ人になる」べく、必死で他の米軍人家族との社交術を身につけようとした。
・アメリカの生活や習慣で何か理解できないことがあると徹底的に聞いたり調べたりして、とにかくアメリカ人らしく振る舞うように務めた。
・努力の末、兵営内の夫人たちとの交際は深まり、35歳のときには婦人会長に選出された。
社交の大変な米軍人コミュニティーで、他のアメリカ人夫人たちと対等に受け入れられるほどに完璧にアメリカ文化に適応したC子だったが・・・。
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